僕にとって、Equityとはさまざまなシーンで出くわしてきた気づきや学びの根っこにあった大事なもの、です。
まずは、編集者として。
ここ数年、海外発のソーシャルイノベーションや社会的企業について調べていると、必ず言葉を出すのがこのEquityという言葉。たとえば、BCorp。持続可能なビジネスモデルで社会性も満たす企業の認証であるBCorpのムーブメントについては、つかず離れずといった感じで10年弱追ってきたが、ここ数年になり**「Equityへの配慮なしに進んできたことへの反省」**が、界隈で述べられています。2022年に邦訳・刊行された『B Corpハンドブック』(バリューブックス・パブリッシング)は、原著第二版を底本とするものですが、その第二版が制作された背景こそがEquityであり、第二版ではなんとEquityに詳しい著者(ティファニー・ジャナ博士)を加えて、全面改稿したといいます。それほどまでの切迫さが、アメリカにはある。そう衝撃を受けたのです。
同じような切迫度は、まさに藤村さんや佐藤さんに監修していただいた、『Stanford Social Innovation Review』の論文「コレクティブ・インパクトの北極星はエクイティの実現である」(原題:Centering Equity in Collective Impact、『SSIR-J04』所収)でも強く感じました。
また、たとえば『ハート・オブ・ビジネス』(英治出版)などグローバルリーダーの著書を紐解いても、いかにして自組織内でもっとも疎外されてしまっている人に寄り添うかの重要性が語られ、リバースメンタリング(自組織で最も周縁化されてしまっている従業員が、トップエグゼクティブのメンターを務める)といった、構造的な不均衡に気づき、マジョリティ層がメンタルモデルを改めるための具体的な方法論がすでに多くの企業で実践・実用段階にあることがわかります。
そしてもう一つ、D,E&Iの浸透を実施する者として。
本業である編集者とは別に、企業、自治体、学校といった組織の中にD&Iの考え方を本当の意味で根づかせることを目的とした一般社団法人を運営しています。組織変革のためのダイバーシティ(OTD)普及協会というその団体は、東京大学バリアフリー教育開発研究センター教授である星加良司さん(障害学)、同特任准教授である飯野由里子さん(ジェンダー)らが開発した「クイズ&ギャンブルゲーム」を軸としたワークショップを軸に活動しています。これまで、5000人超にワークショップを実施したほか、同ワークショップを主催できる認定講師を75名超排出し、国内最大規模のD&I研究会を累計110社と実施してきました。
前置きが長くなりましたが、実はこのOTDワークショップ、マジョリティが無意識に振りかざしてしまう特権性に、衝撃的な形で気づかせることができるものとなっています。コアバリューをどう伝えていくかの議論のなか、運営委員らの中から自然と推されてきたものもまた、Equityだったのです。組織の中にある構造的な不均衡を是正するため、マジョリティの持つ特権性を見える化するOTDの活動は、まさにEquityこそが本丸だった、活動5年目にして新たな定義づけがなされたのでした。
どうやら僕は、多様で価値観も何もかもバラバラな人たちが、「ただそこにいること」が許されているとき、とてつもない安らぎや安心感を得るのだ、と最近言語化ができてきました。
実は、そのことを気づかせてくれた原点は、「書店」にあります。高校生のとき、人間関係にも行き詰まり、鬱屈とした気持ちを抱えていた際、父の何気ない一言で訪ねた大阪・梅田にある紀伊國屋書店梅田本店で、圧倒的な解放感を得ました。どんな主張をしているどんな本も、そこにあっていい。書籍のことを、**「多様で、バラバラで、でもそれぞれ(1冊1冊)が尊重されている」**とみている──そんなふうに思っている僕は、「書籍」という存在そのものに対して、Equityのようなものを感じていたんだなと認識するようになってきました。つまり、僕の中のいちばん大事な価値観をつくっているものの中に、Equityがある。ここにこそ、今回の探求の旅を応援し、伴走しようと思った気持ちの核のようなものがあると思っています。
この問いからは、「大きな流れの中の一粒としての自分」からの願いが浮かんできました。
父方の祖母、つまり僕のおばあちゃんのお姉さんは、第一次世界大戦よりも前に海を渡り、カナダに移り住みました。ですが、約束された新天地はなく、川の上のあばら家に住まいながら男は鮭の漁に、女はその缶詰工場にという過酷な日々を生き抜き、ようやく基盤ができたと思ったところで第二次世界大戦。戦争を起こした国の人間ということで、ロッキー山脈にて抑留の憂き目に遭い……というなかで暮らしを紡いできたと聞いています。普通に考えればルーツである日本を恨んでもおかしくはないところです。ですが、祖母と叔父、叔母、父の4人家族が困窮していたと聞きつけ、助けてくれたのです。祖母や父は、その支援で食いつないでいくことができた。その話を聞いたとき、自分がいま「ある」のは、これまで連綿と紡がれてきた人のつながりのおかげだと確信したのでした。
Equityは、一見ヨコの広がりに関することが中心にあることだと思えます。できるだけ広く見渡してみて、周縁化された人をすくい上げ、そうした自体を生み出している構造ごと変容を促す営みだ、と。一方で、なぜ周縁化されていったのかという歴史や土地性も見なければならないとも、藤村さんのお話やSSIR-Jの仕事を通して教わってきました。このタテの話は、植民地の経験もなく、表面上均質だと言われる日本では伝わりづらいかもしれません。しかし、私たちの誰も、タテのつながりを持たずに今存在している人はいません。その時々の状況で、マジョリティにもなればマイノリティにもなり得ます。長い歴史の中では、常にどちらかということはなく、一人ひとりに物語があり、それが紡がれて「わたし」に至っています。そう考えると、まずは自分のルーツを知る、つまり大きな流れの中の一粒としての自分を自覚することが、Equityを体得するための一歩になるのかもしれません(僕のこのタテの物語も、Equity Journeyを経てどんな変化があるのか、期待しています)。
旅を通して願うのは、みなが互いに「あるがまま」で接することができる世界なのかもしれません。時間も、空間も、すべてわかったうえで、その人そのものと相対する。本当の意味での人間関係は、そこから始まっていくのでは──今はそんな祈りのような気持ちでいます。