藤村さんが、Equityに取り組みはじめたこと。それが私のEquityとの出会いだった。
そして、今でも、自分の言葉でそれを伝えることはできない感覚でいる。
ただ、私が活動するなかで、気がつけば、マイノリティの側にいるということがある。一つひとつは、特別なことではない。たとえば、女性。たとえば、起業家・代表者の妻、パートナーは、平日はほぼいない。遠距離結婚から田舎に移住。初期の移住者。両親が遠方。建築士。IQ高め、特性強め。自分自身も起業家。複数の事業を持っている。女性マネージャーの少ない製造業に建設業。加えて、何屋かわからない活動の数々。思想はどちらかというとソーシャル。子どもは一人。
それぞれには、ロールモデルも実践者も友人もいる。けれども、いくつかが重なった瞬間、ぽっかりと、穴に落ちたような状態になることがある。あるジャンルでは踏み台が用意されはじめたが、あるジャンルでは不安定な箱を渡されるだけのこともある。そしてそれが、これまでの積み上げたものを崩してくることもある。私は、肩書や経歴から強者として扱われることも少なくないが、いつも、不安定で、力づくであったことは否めない。
それでも。
諦めるものか、と思うのは。
その状態でやっと見えてくる、認識できる構造的不平等があるのだ。一つひとつだと、能力や我慢や慣例によって、直視しないこともできる。個人の能力や人格のせいにもできる。でも、私があがくことで顕在化されるなら、それはお役目なのかもしれない、と思ったりしている。
構造に絡め取られた状態であがいてきた経験から見えてきたのは、強いものを力で変えることはできない、ということだった。では、構造を変えたいと願うとき、私に、そして私たちには何ができるのだろうか。
今、私は「非暴力」という在り方について、探求している。2023年の11月に、インドでヴァンダナ・シヴァのナブダーニャ農園を訪れ、思想家で活動家のサティシュ・クマールから「ガンディー思想」について学んできた。人類の歴史の中で、この非暴力・不服従というのは、巨大な破壊なしに、システム変容を実現してきた、偉大な発明であり実践であったように思う。そして、暮らしを手で紡ぐこと。
私の非暴力を探求する旅が始まったまさにそのタイミングで、藤村さんからEquity Journeyのアウトプットについての相談があった。WEB、ドキュメンテーションのルールと連絡体制の構築などをしていて、ふと気づいた。
「あれ、Equityって、非暴力の山を逆から登ってる人たちのことなのでは?」
ちなみに引き受けたのは、自分が苦手とすることに向き合うため、そして、さんざんお世話になった藤村さんが動き出したことをめちゃくちゃ応援してみようと思ったからなのだけど、もしかしたら、藤村さんはわかっていたのかもしれない。すっかり巻き込まれ、大切なことの一つとなった。
Equityに向きあうあまりに、傷つけあうということがなければいい、と思っている。
構造的不平等を超えていく喜びを、シェアできる人たちが増えていくといいなと思うし、ちょっとでもよくなるように、とか、私はそう在れるように、という感覚でいて、願いというよりは、祈りに近い気持ちでいる。
他者や歴史のものまで願うことは、私には大きすぎると感じている。その代わりに、自分自身の陰や痛み、縁あった人たちや土地のそれに向き合うということを大切に続けたい。
そして、この話は、現行のシステムが染みついた大人たちには難しくとも、子どもたちだけが集まれば、軽やかに超えていけるかもしれないと思っているし、そこに希望を抱いている。
そして、言葉を扱わない、樹や生き物たちとのEquityについても感じていたい。 だから、私も10歳の心で、向き合いたいのだ。